3年ぶりに、ちゃんとしたブログを更新します。でも、いつ滞るか分からないから期待しないでね。

 さて、皆さんは「五足の靴」という紀行文はご存知でしょうか。
 新聞社が若手の物書きを集めて、九州の旅行記を書かせようというこの企画。当時は無名の5人、与謝野鉄幹、北原白秋、平野万里、木下杢太郎、吉井勇が九州西部を旅行した紀行文です。
 東京二六新聞に1907(明治40)年の8月7日から9月10日、全29回に亘って「五人づれ」の名義で連載されたリレー式の共同執筆作品。第3回「福岡」、第4回「砂丘」で当時の博多の様子が記述されています。

DSC_1565 九州の旅行記を書くために最初の宿としたのが、現在も中洲で営業中の「川丈旅館」です。彼らが宿泊したのが1907(明治40)年7月31日。宿泊の翌日には、海の中道で海水浴も楽しんだようです。海水浴のあと、柳川まで移動して白秋の実家に泊まったとか。

 さて、この紀行文の連載が終わって、それぞれ著名人になっていくのですが、この宿泊のあと、再び川丈旅館を利用したのが吉井勇。宿泊時期ははっきりしてませんが、1956(昭和31)年頃といわれています。
 その後、吉井が亡くなり、なんとか吉井たちが宿泊した跡を残せないかと、川丈旅館が中心となり歌碑が完成したのが1966(昭和41)年7月31日のことでした。

DSC_1569
旅籠屋に 名を川丈といいしこと
       ふと思ひ出て むかし恋しも


 この歌は、吉井勇が旅館に再来したときに詠んだものだそうです。今もその歌碑は、川丈旅館の傍らにひっそりと残されています。

 この「五人づれ」の道程は、gaussさんのHP「『五足の靴』の旅」(PC)や書籍「五足の靴−九州旅行と南蛮文学−」(野田宇太郎文学資料館)に詳しいので、そちらもどうぞ。また、原文を読みたい方は「五足の靴」 そのものを。

 気になるのは、件の紀行文「五足の靴」の「福岡」の項で、「博多人は一圖にひねくれた快楽主義の人」との記述。さてさて…。